般若心経は間違い? (宝島社新書) 新書アルボムッレ スマナサーラ (著)

著者からのコメント

■はじめに 般若心経は難しい? 「『般若心経』は難しくてわからない」。そんな声をよく耳にします。
 確かに『般若心経』について、いろんな人々が解説していますが、どれもイマイチ納得できません。皆が好き勝手な解釈をして「私の『般若心経』」を語っています。それが日本の「『般若心経』文化」になっているのです。
 文化を楽しむのはいいことですが、『般若心経』のことを本当に知りたいと思っている人には困りものですね。
 じつは『般若心経』は、わからなくて当たり前なのです。それはお釈迦さま、正等覚者である釈迦牟尼ブッダその人が語った経典ではないからです。
『般若心経』をはじめとする大乗仏教の経典は、お釈迦さまが涅槃に入られてから数百年後、その直接の教えから一部を抜き出して、その人なりの能力で深い意味を表現しようとした宗教家たちの文学作品です。それを、私たちはいろいろと頭をひねって解釈しなければならないのですが、私たちもお釈迦さまが説いた真理を知っているわけではないので、納得いかないのです。
 このジレンマを解決する方法が一つだけあります。
『般若心経』を読んで、わからないところは、直接、お釈迦さまに聞くことです。
 お釈迦さまは誰でも理解できる言葉で、真理、すなわち「普遍的で客観的な事実」を完全に語りました。
 ブッダ以外、完全に真理を語れる人はいません。完全たる悟りに達していない人々は、たとえ高度な知識があったとしても、たとえ高度な精神的境地に達していたとしても、言葉という不完全なものを駆使して「完全に語る」ことはありえないのです。正等覚者でない限りは、真理は完全には語れないのです。どんなに頑張って深遠な教えを表現しようとしても、どうしても、欠点・欠陥が起きてしまうのです。
 このようなわけで、ブッダのあとに作られた大乗経典には、不完全な言葉で表現するというハンディがつきまとっているのです。その不完全な言葉の前でいくら悩んでも答えは出ません。  
 しかし、お釈迦さまが完全に説いたオリジナルの教えに立ち返ると、それまでわからなかった経典の教えもたちどころに理解できるようになります。『般若心経』の作者がお釈迦さまの教えのどこにヒントを得て、どんな真理を教えようとしたのか、明確にわかります。『般若心経』の欠点もわかりにくさも、なるほどと俯瞰できます。
 そこではじめて、出口のない「『般若心経』文化」の迷路から抜け出て、『般若心経』をきっかけとして、お釈迦さまの説かれた真理へとアクセスするための道のりも描けるのです。
 本書はそのような狙いで、ブッダの言葉から抽出して書かれました。『般若心経』を信仰している方々を批判するつもりも、嫌な気持ちにさせるつもりもありません。これはあくまでも『般若心経』をどう理解すればいいのか、という知的な挑戦なのです。  では、お釈迦さまの教えからみた『般若心経』入門のはじまりはじまり。

 

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