ジャータカ物語

親しみやすい物語としてブッダの教えが説かれています

生き物のイラストジャータカとは、釈尊が前世に菩薩として修行していたとき、生きとし生けるものを教え導いたエピソードを集めた物語です。歴史的には『イソップ物語』や『アラビアン・ナイト』にも影響を与え、日本にも「本生話」「本生譚」としてその一部が伝えられました。
仏教の教えを親しみやすく説いたジャータカは、テーラワーダ仏教諸国で広く語り継がれています。ここではスマナサーラ長老によるジャータカの説法をご紹介します。
*協会機関誌『パティパダー』(2004年4月までは『ヴィパッサナー通信』)に連載

No.1(『ヴィパッサナー通信』1999年12号)

兎の話

Sasa jātaka(No.316) 

アルボムッレ・スマナサーラ長老

この物語は、釈尊が祇園精舎におられたとき、お説きになったものです。
ある在家信者が七日に渡って釈尊と比丘たちに食事の布施をして、最後の日に、出家生活の必需品全てを揃えてお布施しました。釈尊と比丘たちに布施をできたことで、彼が限りなく喜びを感じていました。彼をさらに喜ばせてあげようと思った釈尊が、兎の話を説きました。

その昔、菩薩(釈尊の前世のことです)は兎として生まれ変わりました。その兎は、猿、キツネ、カワウソという三匹の友達と森の中に住んでいました。兎は菩薩の転生でしたので、普通の動物と違って智慧がありました。

彼らは、昼は各々えさを探しに別に行動していましたが、夜は一緒に集まりました。その時兎は、悪いこと、ずるいことをしてはいけないと戒の話を、また、自分だけ良ければいいという生き方ではなくて、他人のことも心配するべきですよと布施の話を、また、生きているものとして道徳的でモラルを守るべきですよと修行の話などを、よくしていました。

ある満月の日、兎は修行しようと思いました。三匹の友人も誘いました。皆、大変喜んで修行することに決めました。修行してもお腹が空くので、まずえさを探しておこうと思ったのです。

兎は、「今日は修行中だから、えさをひとりで食べるのではなく、誰かに一部をあげてから食べなさい」と、注意しました。

そこで、カワウソが川で人が魚を釣ったものを見つけました。キツネは畑仕事の人々が食べ残した肉とチーズのようなものを見つけました。猿は木からマンゴーを取って来ました。兎は草を食べればよいので、食べ物を貯蔵する必要はありませんでした。

その代わりに、大きな悩みが出てきました。食べる前に布施をしなくてはならないと自分で決めたのに、草を乞うてくる人はまずいないでしょう。三匹の友達の食べ物は人間も食べるので、簡単に施しをできるでしょう。何か自分が偽善行為をやっているような気もしました。

「偽善になってはたまらない。誰かが食を乞うて来たら、この身体をあげます。兎の肉を食べたがる人は、いくらでもいるでしょう」と、覚悟を決めました。

兎は、修行のために命まで賭けました。天国(帝釈天)にいる天の王・サッカはこれに驚きました。

皆が正直かどうか試してやろうと、乞食に変身して、一匹ずつ訪ねました。カワウソもキツネも猿も、喜んで自分のえさの一部ではなく、全部施しました。

サッカは「後で来ますから」と言って、えさを返して兎のところに行きました。

(そして)「何か食べ物をください」と、兎に頼みました。

兎は、「それは良かった。誰にでも真似できないほどすばらしい施しをしますので、薪を拾って火をおこして下さい」と言いました。

サッカは自分の神通力ですぐ、ごうごうと燃え立つ火を作りました。

兎は身体についている虫を落とすために身体を振って、火の中に飛び込みました。

身体が丸焼きになると思っていたのに、この火は熱いどころか異常に涼しかったのです。

兎は乞食に尋ねます。「善人よ、あなたの火は威勢がよいのですが、私の毛一本も燃やせるほどの熱はありません。あまりにも涼しいのです」

サッカ天は答えて曰く、「賢者よ、私は乞食ではありません。あなたの修行にかかる気持ちはどれほど正直かと試すために、天から降りたのです」。

サッカは、「善行為を行うことは、どれほど大事かと後世の人々に知らせてあげます」と思って、山を絞り、液体を出して(溶岩では?)、月に兎の形を描き遺しました。

この話を聞いて、お布施した在家信者が大変喜びを感じて、また真理を理解しました。

スマナサーラ長老のコメント

良いことは、我が身も惜しまないでやるべきです。
人類に遺るのは、日常やっているマンネリの生き方ではなく、すばらしい善行為だけです。
この物語の筋は、右の戒めではないかと思います。

No.2(『ヴィパッサナー通信』2000年1号)

星占いの話

Nakkhatta jātaka(No.49) 

アルボムッレ・スマナサーラ長老

この物語は、釈尊がジェータ林におられたとき、お説きになったものです。

ある村の由緒正しい家の嫁を、サーヴァッティの都の同じく良家から迎える話がまとまり、お祝いの日取りも決定して、あとは嫁入りの日を待つばかりとなっていました。ところが、その当日になってある宗教家に占いを頼んだところで騙されてしまった家人が、相手の家に無断で、急に予定を変更してしまい、折角のめでたい話が破談になってしまいました。

講堂に集まった比丘たちもこの話題を採り上げていたところ、お釈迦さまがいらっしゃって、「星占いによって昔も、人が幸福になるのを妨害されたことがある」と、星占いの話を説きました。

その昔バーラーナシーにおいてブラフマダッタ王が国を統治していたときに、都会に住んでいた家族が、田舎に住んでいた家族から嫁を迎えることになり、お祝いの日取りも決定して、あとは嫁入りの日を待つばかりとなっていました。

当日になってその家の家人は、一家で親しくしていた遊行者(修行者)に星占いを頼みました。

「先生、今日私達の家でお祝いごとがあるのですが、空の星はめでたい配列になっているんでしょうか?将来はどうなるでしょうか?是非占っていただけませんかと聞きました。普通のやり方は、まず占ってから日にちを決めることです。この家人たちは占い師を頼む前に日にちと段取りを先に決めてありました。これに、遊行者のプライドが傷ついたようです。

その遊行者は心の中で『事前にこの私に相談もしないで勝手に日取りを決めてしまい、今頃になって聞きに来おって!』と思うと腹が立ってきて、この失礼なやつらの邪魔をしてやろう…と、「今日の星の配列は、とても不吉な状態です。今日の祝宴は見合わせたほうがよろしい。もしも強行すれば、大破綻を来すでしょう。」と顔を苦くして占ってあげました。

その一家の人々は彼の言うことを信用して、その日は出掛けませんでした。一方、村の人々は、大変苦労して結婚式の宴の準備をして待っていたのに、誰も現れませんでした。

田舎に住んでいた家族は彼らが来ないことを知って、「あの人たちは日取りを決めて約束を交わしておきながら急に来ないとは・・・我々のことを馬鹿にしているのではないか!」と言って、折角苦労して宴の準備をしましたし、またやり直すくらいの財産はないし、仕方なくほかの家に娘を嫁がせてしまいました。

翌日になると都会に住んでいた家族がやって来て、「娘さんをお嫁にください」と頼みました。

すっかり気を悪くしていた田舎の家族は、「あなたたち都会の人は礼儀知らずで非常識なのではないですか?あなた方がしっかり日時まで決めておきながら急に約束を破って来ないものだから、娘にとっては我慢できない程の恥でした。娘の気持ちを考えて、私たちは娘をほかの家に嫁にやってしまった!」と言いました。

町の人にしても、嫁をもらおうと行ったところで断られると、大変な恥です。

それで互いに言い訳を言いながら、結局喧嘩になってしまいました。

「私たちは、星占いの結果が不吉だったので大事をとって来なかったのです。それは、娘さんの幸せを考えてやったことです。なんとか娘さんをお渡しください!」

「あんたたちが約束を破ったのがいけないのだろう。ほかの家に嫁にやった娘を今さら連れ戻せるわけがない!」

このように彼らが言い争っているそのときに、都会に住んでいるある賢い人が、たまたま用事があってこの田舎の村へやって来ていました。

そこで彼は、自分に関係ないこの喧嘩の仲裁をする羽目になりました。「遊行者の星占いを信じて来なかった」という都会の人々の言い分を聞いてこの賢い人は判決を出しました。

「星の配列にどんな『めでたさが』があるのか。結婚して幸福を得ることが、すなわち『星回りが良くてめでたい』ことなのではないか」と言って、次のような詩句を唱えました。

  • 星の配列で運命を占う愚か者を、幸福が見捨てていく
  • 実生活の努力こそが、幸福でめでたいことである
  • 星のならびには何の意味もありません

都会の人々は、お嫁さんももらわず、大恥をかけられて悔しい思いを抱きながら、田舎の村を立ち去って行きました。

お釈迦さまは、「比丘たちよ、この遊行者が人々のお祝いごとの邪魔をしたのは、何もいまだけに限ったことではない。過去生においても邪魔をしていたのである」とおっしゃいました。

この過去生物語で、仲裁に入る賢い人は菩薩(お釈迦さまの前生)でした。

スマナサーラ長老のコメント

偶然の出来事や迷信に、なにか重大な意味があるかのようにこじつけて、大切な決定を誤って下してしまうのは、愚かなことだと思います。
迷信に依存する人は一生弱くて、不幸になるだけです。明るく努力すれば、自分の手で幸せを取ることができます。
世にある様々な占いの術、また超能力術などは、社会に対して迷惑以外の何もありません。

No.3(『ヴィパッサナー通信』2000年2号)

ダンマパーラ王子の話

Mahā dhamma pāla jātaka(No.447) 

アルボムッレ・スマナサーラ長老

この物語は、釈尊が竹林精舎におられたとき、お説きになったものです。

ある日、講堂に集まった比丘達のあいだで話題が持ち上がりました。 「デーヴァダッタは釈尊を殺そうと企んでいる。ナーラーギリという凶暴な象を放って、托鉢の行列に飛び込ませようとした。」と。

そこへお釈迦様がいらっしゃって、 「それは今だけのことではない、以前にも彼は私を殺そうと企てた。しかし私を怒らせたり怖がらせたりすることは出来なかった」と、ダンマパーラ王子の話を説きました。

その昔バーラーナシーでマハーパターパという王が国を統治していたとき、菩薩(釈尊の前世のことです)は王の第一の妃であるチャンダー王妃の胎に宿り生まれて来ました。

ダンマパーラという名がつけられ、生まれて七ヶ月になって部屋で母と遊んでいるときに父王がその部屋にやって来ました。ところが妃は母親としての愛情が強く、遊ばせている子供の方に気を取られており、王を見ても立ち上がって挨拶をしませんでした。

王は機嫌を損ねて、 「妃は今ですら傲慢になって、わたしのことをないがしろにしている。このうえ子供が大きくなったら、わたしを人間とすら認めなくなるだろう。いまのうちに子供を殺してしまおう」 と考えながら自分の部屋に戻りました。

王は玉座につくと、泥棒の首を切る処刑人に、処刑の支度を整えて来るように命じました。処刑のための衣装をつけ、道具を持ってやって来た処刑人に、王は 「妃の寝室に行ってダンマパーラを連れてまいれ」 と言いました。

王妃は王が腹を立てて帰ったのに気が付いて、王子を胸に抱いて泣きながら座っていました。処刑人は王妃の背をドンと突いて王子を奪い去り、王のもとへ連れ戻って指示を仰ぎました。

王は、 「板を持って来させて、そこに王子を寝かせよ」と命じ、彼がそのとおりにしていると、王妃が嘆きながら王子を追ってやって来ました。

ふたたび処刑人が、 「王様、どのようにいたしましょうか?」 とたずねると、王は 「ダンマパーラの手を切れ!」 と命令したので、王妃は、 「大王さま、この子はまだ七ヶ月の嬰児で何も知りませんし何の罪もありません。罪があるのは私のほうですから、私の手をお切らせください」 と懇願しました。

しかし王は、 「ただちに手を切れ!」 と言ったので、処刑人はすぐさま鋭い斧を取って、王子の幼い筍のような両手を切りました。

王子は両手を切られながらも、泣くこともわめくこともせず、忍耐と慈悲を心に満たして耐えました。一方チャンダー王妃は、切り落とされた手の端をつかんで腰布にくるみ、血に染まりながら泣いていました。

ふたたび処刑人が、 「王様、どのようにいたしましょうか?」 とたずねて、王が、 「両足も切ってしまえ!」 と言ったのを聞いて、やはり王妃は自分の足を切るように懇願しましたが甲斐もなく、王子は両足も切られてしまいました。

チャンダー王妃は、切り落とされた足の端をつかんで腰布にくるみ、血に染まりながら泣いて「両手足を切断された子供は、母親が大事に面倒をみて育てなくてはなりません。私がお金を作って私の子供を育てますので、どうぞその子をお渡しください」 と頼みましたが、処刑人と王は意に介さずに続けました。

「王様、まだお指し図がございますか?私の仕事はこれで終わりでしょうか?」
「いや、まだおわってはおらん」
「それでは何をいたしましょうか?」
「こいつの首を切れ!」

そこでチャンダー王妃は、 「王様に無礼をはたらいた罪は私だけにありますから、王子をお赦しください。王様、私の首をお切らせください」 と言って、自分の首を差し出しました。

そのとき王子は心の中で自分自身に言い聞かせるように

「今はあなたの心をよく抑制するべきときです。今あなたは、我が子の首を切れと命じる父王と、処刑人と、泣き悲しんでいる母と、王子自身との、この四者に対して平等で冷静な心を持つのです」と堅く決心して、怒ったり恨んだりする気配すら見せませんでした。

ついに処刑人は王子の首を切りました。

「王様、ご命令を果たしましたでしょうか?」
「いやまだ終わりではない」
「それでは何をいたしましょうか?」
「刀の『技』をやって見せろ!」

処刑人は王子の体を空中に投げ、それを刀の先端で受けて空中でバラバラに切り裂く、刀の『技』をやって見せて肉片を床に撒き散らしました。チャンダー王妃は、菩薩である王子の肉を腰布にくるみ、床に泣き伏して、嘆き悲しみました。

「この王に、『我が子を虐待するなかれ、それは理性ある人間の道ではない』というくらいの忠告をできる友人も、大臣も、有識者も、ひとりもこの国にいないのですか」

チャンダー王妃は、両手で王子の心臓を持ちながら泣き崩れました。

「大地を支配する運命を持った我が愛しい子、ダンマパーラの両手両足に、貴重な栴檀の油を塗って、今まで大事に育ててきました。今、ダンマパーラ王子に両手も両足もない。身体もない。これから私は、どこへ再び油を塗って、子育てをするのでしょうか。王よ、我が命もこれで果てます」

余りの悲しみの激しさに、彼女の心臓は燃える竹林の竹のように破裂して、そこで命尽きてしまいました。

正気に戻った王は、自分の犯した罪の残酷さの余りに、椅子に座っていることもできなくなりました。そして椅子から転げ落ちて床に倒れてしまいました。

すると、倒れたところで床板が二つに割れてしまい、そこから王は地面に落ちました。この、二十四万ヨージャナの厚さの大地でさえ、王の罪の重さに堪えることが出来ずに裂けて穴が開いてしまいました。さらに無間地獄から炎が現れて、赤い毛織物が包み込むようにして王を捕らえ、無間地獄に投げ込みました。

大臣たちは、チャンダー王妃と、菩薩である王子の遺骸を火葬にしました。

お釈迦様はこの話を説かれて、過去を現在にあてはめられました。

「そのときの王はデーヴァダッタであり、チャンダー王妃はマハーパジャーパティ・ゴータミー(お釈迦様の育ての母)であり、ダンマパーラ王子は実にわたくしであった」と。

スマナサーラ長老のコメント

自分を殺そうとする程の敵に対して慈悲の心を保ち、怒りを起こさず冷静であることが、いかに厳しい境地であるか、このお釈迦様の前世物語から伺い知ることが出来ます。

この物語では、王は極端な悪を表すもので、処刑人は愚か者で判断力も持たないでどんな悪い事にも手を出す役です。

王妃は完全無欠な優しさの役です。

菩薩であるダンマパーラの役で、仏教徒は他人に対してどのような姿勢で生きるべきかという模範を表していると思います。

自分を殺そうとした敵にも、命を懸けて守ってくれようとする味方にも、言われればどんな悪をもなす愚か者に対しても、怒りと愛情の感情を起こさず、平等な気持ちで冷静にいられることは、菩薩にしかできないのかも知れませんが、この菩薩の境地に少しでも近づけるよう、努力するべきではないでしょうか。

 

ジャータカ物語 つづきはコチラです。

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